本図は牛頭天王の后である頗梨采女(はりさいにょ)の一尊だけを掛軸に描いたものである。
像容は「仏像図纂」に描かれる「頗利采天女」の図(本文末の白黒の図)と基本的に同じである。
頗梨采女は歳徳神や奇稲田姫と同一視される女神であり,祇園社においては少将井天王とも呼ばれた。
本図の裏書に、「奉造復頗利采女御影是レ歳徳神ト名ク」と記載されており、頗梨采女=歳徳神として描かれた神像図であることが判明する。
同じく裏書によると、本図は文化元年に作成され、開眼されたとある。
祇園の女神である頗梨采女は祇園信仰において牛頭天王とは別個独立した崇敬対象でもあった。
その一例として,中世の祇園祭においては少将井天王頗梨采女の神輿は牛頭天王・八王子とは別個の御旅所である少将井御旅所に渡御していたのである。
本図の像容は典型的な歳徳神とは異なり、歳徳神であることを示す元旦の象徴(門松や鏡餅)が描かれておらず、着衣に日月のシンボルも入っていない。
ただし手に宝珠を持つのは一般的な歳徳神像と共通する。
本図は頗梨采女が牛頭天王・スサノヲとは独立した崇敬対象であったことの、ひとつの実例といえる。
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