「近世における神社と門跡の関係―祇園社と青蓮院・妙法院を事例として― 石津裕之」
(ヒストリア第278号2020.2.20)
本稿は、近世における祇園社と、門跡寺院である青蓮院・妙法院の関係について論考しています。
祇園社は、宝寿院顕深以前、延暦寺からの支配を受けていましたが、顕深以降、延暦寺からの支配を脱し、独立したといわれます。
中世末期から近世において、宝寿院をはじめとする祇園社僧たちは、天台系の門跡寺院である青蓮院・妙法院で得度をすることが慣習となりますが、それによって祇園社が青蓮院・妙法院から支配を受けていたわけではないことは、これら門跡寺院側の認識でもあったことが本稿で明らかにされています。
そのうえで、社僧が世代によって、青蓮院又は妙法院のいずれで得度するのかを変えることがあり、それがこれら門跡寺院の宗教的権威を傷つけたことから、祇園執行・宝寿院においては、天保期から慶応期にいたるまで、青蓮院門主を戒師として得度した場合でも、妙法院門主とも師弟同様の関係とするという折衷的な関係が継続したことが紹介されています。
また、北野社が近世においても曼殊院門跡からの支配を受けていたのに対し、祇園社は青蓮院・妙法院の支配を受けていなかったことと対比を交えながら説明されています。
以上に要約した以外にも、本稿は詳細に近世における祇園社と両門跡の関係を論証しており、これまであまり論じられてこなかった、祇園社と天台寺院との関係が明らかにされています。

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