正確な年代は不詳だが、孝明天皇の時代における、祇園社に宛てられた攘夷祈願命令の写しである。
「右少弁俊政」は、坊城俊政である。
同様の攘夷祈願命令は全国の神社宛に行われていた。
近来外夷追日跋扈、深く宸衷悩まれ将に蛮夷拒絶の期限決定せられのところ、この頃既に英夷の軍艦横浜に来たり。請求の旨趣、必らず兵端開くべきの情態顕然。実に天下の安危在り。この時において庶幾神明の冥助により、奮起をもって皇国の勇威国内一和上下志斉しく、早く醜夷千汎海の遠くに攘い、覬覦の意念を永く絶えしめ、神州汚れず、人民を損なわず、宝祚延長武運悠久の御祈、一社一同丹誠抽んずべく下知せしむべし。
祇園社給者依って天気執啓、件の如し。
三月四日 右少弁俊政
謹上廣橋侍従殿
(寳光井家文書)
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