感神院祇園牛頭天王神璽勧請関連文書寛政9年(1797)に加東郡長谷村に祇園牛頭天王を勧請した神社が、嘉永6年(1853)にあらたに造営されるため、あらためて祇園社の西梅坊から差し遣わした文書の写しである。 勧請した御神体が「感神院祇園牛頭天王神璽」とされており、幕末期にも祇園牛頭天王の名称が使用されていたこ...
攘夷祈願依頼文書正確な年代は不詳だが、孝明天皇の時代における、祇園社に宛てられた攘夷祈願命令の写しである。 「右少弁俊政」は、坊城俊政である。 同様の攘夷祈願命令は全国の神社宛に行われていた。 近来外夷追日跋扈、深く宸衷悩まれ将に蛮夷拒絶の期限決定せられのところ、この頃既に英夷の軍艦横浜に...
文政四年正遷宮・宝寿院賢円許状江戸時代における祇園社の修理は、文政4年の大修理を最後とする。 この修理は宝寿院賢円により開始されたが、資金難となり頓挫する。 これを援助し、修理を成功させたのが、祇園祭の駕輿丁を務めた轅町である。 この功績により、轅町の面々は、勅使(※この時は柳原隆光)の参向による正遷宮...